3年前の自分からのワードファイル。まるでタイムカプセル。
星の王子さまが見たものは、脳死を根底から見つめ直した後の、「本当の死のあり方だと思う。脳死者は生きている その先に奥に、潜んでいる本当の目的に思いをはせ、目をこらすこと。の重要性
脳死は、「意識・感覚等、脳の持つ固有の機能とともに脳による身体各部に対する統合機能が不可逆的に失われた場合、人はもはや個体としての統一性を失い、人工呼吸器を付けていても多くの場合数日のうちに心停止に至る」状態のことを指す。「たとえその時個々の臓器・機関がばらばらに若干の機能を残していたとしても、もはや「人の生」とは言えない」
本当にそうと言えるのか?
数々の例 脳死宣告から生き伸びる人々、社会復帰した人々
人間は社会的な動物であるが故に、社会に貢献できないと存在している意味がない。医者からの邪魔者扱い。ベッドの奪い合い(病院の)君の命で25人の命が救われるー
↑や、もはや「人の生」とは言えないだと!?
最後の生命論の講義で見たドキュメンタリーや本に出てくるアメリカの男の子と母親の例
人が生きている、そこのいるということだけで、救われる人間がいる。これを無駄であると言えるのだろうか。それは家族だけに限らない。医者も同じことを感じるべきではないか?(というか感じるはず自分の患者だから)
このような事実があるにも関わらず、なぜ脳死者からの臓器移植を認める(臓器移植の基準がどうのこうの)そういう問題ではない!根底に目を向けるべきだ。。だって脳死者は死んでいない!
他人の命を救うためのボランティア精神による臓器提供、命のリレーなど
人の命を救う、尊厳するための精神がどうして脳死者に働かない?
医者の患者に対する全うした姿勢は?
中学生や高校生でも分かるような、常識的な問題
無視し続ける(例外とし続ける)理由は?
バイオテクノロジー、そういった市場の存在
『かんじんなことは目に見えない、心の目で見なくちゃ、大事なことはわからないんだよ』
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